経営支援NPOクラブの海外支援サービスのメンバーが執筆しています。海外ビジネスで個人的に経験した体験談です。書籍や雑誌には出てきません。失敗、成功、喜び、驚き、悲しみ、喜怒哀楽一杯の海外でのビジネス体験談になります。何か海外進出でお役に立てれば幸です 。相談したいことなどがありましたら気楽にお問い合わせ下さい。
1983年だったと記憶していますが、当時の西ドイツに設立したVTR生産工場への出張を命じられました。 一月の中旬で現地の日本人駐在員に少し遅れた正月関連のお土産と茨城の地酒を持っての初出張でした。なんとビジネスクラスのチケットを渡され優越感もちょっぴりの初海外出張。
成田からヨーロッパは今とは違い直行便はまだ飛んでいませんでした。南回りではなくアンカレッジ経由のJALで行きました。何とか機内に入り通路側をとってもらっていたので、座りました。初めてということを何故か悟られたくないという見栄の気持ちが頭をもたげていました。
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初めてということを何故か悟られたくない!
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本ブログは、定年後の2007年から働いた中小企業の社報に「上杉鷹山の経営改革に学ぶ」と題して寄稿 したものです。
上杉謙信ゆかりの越後高田、直江津の近くにある工場で当初の1年間単身赴任をしていたので、会社の経営者や仲間からは改革の重要性や上杉家のその後が解ってよかったと喜ばれました。
「上杉鷹山」は第9代米沢藩主で、江戸時代の名君でありまして、アメリカ合衆国大統領のケネディやクリントンが、日本の政治家の中で最も尊敬する人物 として挙げたし、日本の自治体の首長や企業の経営者で理想のリーダーに挙げる人が多いとのことです。
米国の大統領に尊敬されるようになったのは、内村鑑三が英語で日本の文化・思想を西欧社会に紹介した著作である「代表的日本人(Representative Men of Japan)」に選んだ5人の1人として上杉鷹山を取り上げたのがきっかけであると考えられます。まさに「英語での情報発信の重要さ」を認識させられる事例 です。
上杉鷹山の経営改革に学ぶ
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私は1966年日本の電機メーカーに就職し、海外部門に配属されました。
入社4年後、海外研修生としてアメリカGE社のメインプラントであるニューヨーク州Schenectady工場に派遣 されることになりました。6月の蒸し暑い日の夕方、パンナムボーイング707で多くの人の見送りを受け羽田空港より意気揚々と出発しました。
初めての海外渡航に対する不安感と高揚感 は、今考えても懐かしい思い出です。
ジャックダニエルオンザロックスで、これを飲まないとニューヨーカーでない!
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私の大学4年間は、ミズーリ州のWestern Missouri State University2年間とワシントン州のWestern Washington University2年間で過ごした。 最初の2年間は、大学の授業について行くのに苦労をした。毎日が勉強で追われた。
ミズーリ州の独特のアクセントに慣れるのに1年間かかった。ヒルベリーアクセントと呼ばれる英語だ。Western Missouri State Universityには、日本人が私を含めて二人しかいなかった。一人は、米国人と結婚して現地で生活をしている日本女性だ。実質、大学のキャンパスには私一人しか日本人がいなかった。
他の外国人留学生は、イラン人、パキスタン人、インド人などで今までお付き合いが無かった外国人であったので文化の違いを学んだ。
ワシントン州ベリングハム市にあるWestern Washington Universityに転校 してからは、大学の英語にも慣れ、本来のキャンパスライフを楽しんだ。毎週末に寮で色々なダンスパーティーが開催された。
ブロンド女性が一杯いるキャンパス
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2017年12月にワイフと共に旅行業者による「アメリカ西海岸大自然周遊の旅」 に参加した。現役の商社勤務時代にニューヨークに駐在 していたが、「是非とも訪問したい、観光したい」と思っていたが多忙に追われ訪問、観光する時間がなかったがやっと長年の思いがかなった次第である。
幻想的な造形の峡谷
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娘の夫はフランスの証券会社日本法人で法務の仕事をしていました が、かねてから待望のEU国際裁判所(ルクセンブルグにあります)にポストが空いたとのことで転職しました(予めそのポストの資格は取っていました)。最初はセットアップ等で彼が単身赴任をして数か月後に、娘と孫娘が東京から彼に合流するのに、我々夫婦もパリまで同行しました。
娘の義父がシャルルドゴール空港まで出迎えに来てくれて、大荷物の娘は大助かりでした。欧州の車は車内のスペースが上手く工夫されていて、大荷物プラス我々4人が車にすっぽりと収まりました。その晩の先方の両親との夕食は時差とアルコールと薄暗い落ち着いた雰囲気で、眠いのを堪えるのが大変つらかった記憶があります。
大声で”何をするんだ”と叫び
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もう20年以上昔の話になります。
ニューヨークに出張 した時の日曜日のことです。昼は顧客を伴ってヤンキーススタジアムでゲームを楽しみ、その後同行の友人と世界貿易センタービルの屋上で、ニューヨークの街を一望しました。
その夜は同行の友人のお勧めで、ブルーノートにジャズを聴きに行きました。5番街でイエローキャブを拾って、しばらくして街角で降りました。
ニューヨークにも、俺のような正直な運転手がいる
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2017年12月吉日
始めて海外に赴任する場合は、何方も思わぬ失敗をしながら、多くを学び一人前に成長して行く 訳ですが、小生の場合は、現地の人がQueen’s Englishを操るイギリスに50年ほど前の26歳の時に赴任しました。赴任早々から、自分でも驚くほどの失敗を重ねましたが、本日は、肝心の言葉(英語)に関する失敗談の中で厳選して(笑)二つほどお話したいと思います。
毎日喋って居ると、三か月もすると、どうやら現地の方々と話が通じるようになります!
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1998年5月12日、トリサクティー大学構内で治安部隊発砲、7人の学生が犠牲となった。 翌々日14日、ジャカルタ市内は火の海と化し、市内大通りに面したビルの低層階の窓ガラスはことごとく破壊された。
21日、32年間のスハルト政権は崩壊した。 後日、600数十人のレイブも明らかになった。
この5月14日(水)、私は自宅から高速道路を小一時間走ったところで、午前8時過ぎから商売仲間の友人とゴルフを楽しんでいた。
7番ホールのティーショットを終え2打目グリーンを狙う地点に向かう途中、フェアーウェイの芝の上をバイクが駆けてきて、「Mr. Totani ! Mr. Totani ! Who is Mr. Totani?」と叫ぶ。「It’s me, What’s the matter?」と怒鳴り返した。「You have requested the urgent telephone call !」
プレー中にオートバイが駆けつけ、私に緊急で電話だと叫ばれた。
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夫婦でサンディエゴに旅行した。2014年4月だ。気候も良くレンタカーでビーチまで行き、砂浜を歩いた。海に突き出た桟橋にカモメが止まっていた。その写真がこれだ。
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5年ほど前に韓国の麗水(YOSU)で国際博覧会(万博)があり、見学した時の話です 。
当時は韓国の会社に勤務していたこともあり、会社の仲間と1泊2日でこの万博に行ってきました。麗水は入り組んだ美しい入り江が多く、名前の通りの古くからの景勝地です。
昨今では大きな石油精製・石油化学のコンビナートが出来ていますが、その周辺は漁港が点在していて、美味しい海産物が食べられる事でも有名です。
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