初めての海外出張あれこれ・・・後から考えると汗顔の至り

私は1966年日本の電機メーカーに就職し、海外部門に配属されました。

入社4年後、海外研修生としてアメリカGE社のメインプラントであるニューヨーク州Schenectady工場に派遣されることになりました。6月の蒸し暑い日の夕方、パンナムボーイング707で多くの人の見送りを受け羽田空港より意気揚々と出発しました。

初めての海外渡航に対する不安感と高揚感は、今考えても懐かしい思い出です。

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ジャックダニエルオンザロックスで、これを飲まないとニューヨーカーでない!

アンカレッジ空港で給油の後 ニューヨーク JFK空港に到着しました。余り安いホテルや地域だと治安が悪いとのことで、8番街にあるアビーヴィクトリアホテルという中級ホテルを会社が予約してくれました。

マジソンアベニューにある現地法人本社で1か月研修を行いました。ホテルで朝食をオーダーして運ばれてきたその量の多さに驚いたり、フルデイナーの後のデザートの巨大なマッドパイを食べ終わるのに四苦八苦したこと等、今でもよく覚えています。

また、今では日本でもポピュラーですが、この時米国駐在の日本人が好んで飲んでいたのがジャックダニエルオンザロックスで、これを飲まないとニューヨーカーでないという感じで、私もよく飲まされました。

Jack Daniels Drinks

1ヵ月経過後、愈々一人でニューヨークの北、ハイウエイで5時間ほどの所にあるSchenectady へ行くことになりました。下宿先は下町のポーランド人老夫婦がやっている、月の家賃が300ドル程の安下宿でした。絨毯や家具・ソファーは非常に古い物でかなり汚れては居ましたが、1人暮らしの身には特に気になりませんでした。

GEのメインプラントへは車が無いため毎日30分くらい歩いて通いました。GE では他にもアメリカ人研修生が4名程いて、ランチは大体一緒でした。その時のランチはみんな必ずと言っていい程ホットパストラミオンザライだったことを憶えています。

これはパストラミ(牛の塩付け赤み肉の燻製)を暖めイエローマスタードをたっぷりつけライ麦パンに挟むサンドイッチで、若い研修生では大流行でした。これをみんなとわいわい言って食べるのが、仲間入りした証明みたいなものでした。

この頃アメリカはベトナム戦争の真っ只中で、研修生の内の一人も兵役に取られ、ベトナムに向かうことになりました。研修生仲間で彼の送別会を開き、それこそ皆で痛飲したことは強烈な記憶として残っています。

GEでは研修生とのお付合いのほか、私が所属したマーケテイング部隊の課長・主任クラスのお世話になり指導を受けました。このメンバーに感謝の意を表し、一層良い関係を築く為、10月頃の良い季節のある土曜日に2組のカップルを私の下宿でのすき焼きパーデイ―に招待することにしました。

何とか楽しい良いパーテイーにする(そして恥ずかしくないものにする)ためその日は朝から買い物に、部屋の掃除に、食卓のセッテイング等におお忙しでした。そしてお客様の到着をお待ちしました。

そこへピカピカな大型の車2台が到着しました。そしてその車からなんと男性は黒い背広ネクタイ、女性は白のドレスの紳士淑女が降り立つではありませんか!まるで掃き溜めに鶴という言葉がピッタリの感じで、私の頭の中も真っ白となりました

何とか気を取り直して、安下宿のリビングに招き入れ、すき焼きパーテイーを始めたのですが、彼等の完璧な衣装と部屋の家具調度の釣り合いが全く取れずひやひやしながらお相手をしたものです。

また相手もさすがに嫌な態度は一切見せずに“楽しんで”頂いたようでしたが、本当に今考えても汗顔の至りとはこのことだと思います。

然しながらこれを機会にGEの連中とは大変仲良しになり、事あるごとにこの甘酸っぱい思い出のすき焼きパーテイーを楽しいジョークにされました。

この研修時代の経験が私の外国人との接し方を学ぶ最初の大変良い機会となり、その後の私の40年間に及ぶ海外ビジネスマンとしての基礎を形造ったものだと思います。

 

執筆者: 海外支援G Takashi Muraki

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